天は自ら助くる者を助く

自分の好きなものに正直に生きていたい。

期待することをやめた

こんばんは。あかりです。


今日は朝から国家試験の対策講座があったので、9時くらいに目覚ましをかけていたのですが、7時半くらいにうなされるように目覚めました。毎朝、絶望感と共に起床してます。起きると必然的に脳味噌が考えることを開始してしまうことへの恐怖で毎朝絶望しています。あぁ、また訳の分からない恐怖と戦う一日が始まってしまうのかと。

もう、自分に期待する事を放棄しようかと思います。自分に期待して、もっと出来るんだからって無理に頑張ろうとすると、同時に未来への不安が襲ってきて、現状に対する絶望感がやってきます。
だから現状をありのまま受け入れて最低限の努力をしようと思います。
今私が1番に考えなければならないのは、秋頃に行われる卒業試験の突破と卒論発表、1年後の国家試験の合格。この三つさえクリアすれば、ひとまず社会に出て働く事が出来ます。これだけ出来れば十分。

今は就職活動の時期で、周りの友人の色んな活動状況が耳に入ってきます。自分の進路は自分で決めるものだし、最初は何も気にしていないつもりだったのですが、研究室の先輩も大手製薬メーカーの研究や開発に行く人が多いし、同級生も外資に早期内定してたり研究の選考に進んでいたりで、内定は持っているものの自分の選択が正しかったのか、次第に劣等感に苛まれるようになりました。また甘えた道に進もうとしているのではないかという、自分の選択に対する不信感がこの2年で染み付いてしまったようです。多分、私はどんな道を選択したとしても後悔するからそこで上手く適応していくしか道はないんだろうなぁ、と今から悟りを開いて予防線を張っておくことにします。
それにしてもこの就活というシステムはメンタル豆腐以下にとっては非常に優しくないですね。気にしない精神貫こうにも嫌でも情報が入ってきて、自分のやりたいことって本当にこれなんだっけ?って惑わされて自信を無くしてしまいます。でも、今の私の精神状態で精一杯のことはやっています。今日もES1本書いて出したし、十分頑張ってるよ、私。どうか未来の自分がこの時の自分を責めないでという思いを込めて書きました。製薬企業は元々憧れではあったけど、頭も良くないし、英語出来ないしで、早々に諦めてるんだよ。だから、後から申し込みをしなかったことに後悔しないでね。あとは、出版社を忘れずに出せば、十分就活頑張ってるから。

時間を有り余らせて、のんびりすることに対しての罪悪感から何か有意義な事をしなくてはと実験を入れるようになったのですが、どうやらこれも今の私に必要なことの正解ではなかったらしいのです。研究室に行くだけで手がピリピリ痺れて思考が停止します。こうなったら、今の正解は家でのんびり引きこもって好きな事をして過ごす事、なのかなって思います。みんなは頑張って毎日研究してるのに自分だけのんびりしているという後ろめたさで気が狂ってたのですが、今はその感情ごと受け入れて前を向くしかないのです。引きこもる、という選択肢しかないということを受け入れるしかないのです。これしか道がないから仕方ないのです。引きこもるって言っても週2くらいでバイトしてるから完全な引きこもりではないことだけ救いだとは思います。
最低限のことはやって、とにかく卒業すればそれでいい。今はそれ以上のことを考えたらまたパニックを起こしてしまうから、問題は出来るだけシンプルに考えることにしました。逃げとか甘えとかいう言葉を言われても、また頑張ったら壊れる気しかしません。

今日は散歩もしたし、風呂掃除もしたし、皿洗いもしたし、洗濯物も畳んだし、いっぱい頑張ったよ。明日も自分のペースで出来ることを確実にやろうと思います。


八方塞がり

こんばんは。

 

もういつからこのブレインフォグ状態から抜け出せないのでしょうか。

卒業研究の研究室選びを完全に間違えてから地獄のような日々が始まりました。

配属されてもう1年半くらい経とうとしています。

私の配属は少し特殊で、外部連携研究機関に配属されています。大学と連携して共同研究を行っている機関です。これは自分の希望で、好きなことが出来そうだったから、割の何のためらいもなく選びました。

最初の頃は経験の為に、病院に見学に行かせてもらったり、研究室内でデータの入力をしたり、先生とスタバ飲んだり、ちゃんと解析したり、それなりに楽しく過ごしていたのですが、半年間の実務実習が明けてからというもの、研究室の作業部屋が撤去され完全リモートでの作業になり、家に籠って一人でひたすらパソコンのデータと向き合う日々が続いていました。

1月に地方の解析機関で1か月の短期留学と称して、解析の勉強をさせてもらえる機会も当初はあり、自ら行ってみたいと名乗りを上げたのですが、このご時世ということで受け入れ先から拒否されてしまい、撃沈。

この結果、毎日時間が有り余るようになり、そうこうしているうちに段々と気持ちがおかしな方向にばかり向くようになりました。こんな状況を打破しようと、教授にも相談して研究テーマ自体を変えて、大学の研究室に行くことも企ててみて、教授からもいいよと言ってもらえたので、「この暇から解放される!勝ち!」と一安心したのも束の間、今更私の入り込む隙もないようで、手技を一から教えてくれる人もいなければ、気軽に雑談できるような仲のいい友人もいなかったので、完全に八方塞がりになってしまいました。もうこれ以上の逃げ道は私の頭の中にはもうありません。

 

頑張って研究室の人たちと会話しようとするものの、ついていけないことも多く、だんだんと中学の頃からの対人恐怖が湧き上がってきて、上手くコミュニケーションを取る事もままなりません。実験で分からない所を聞こうとすると、そっけなく返されてしまい、やっぱり自分は人をイラつかせる天才なのかと考え始めてしまい、人とどう話したらよいのか分からなくなって、話しかけるのもままならなくなり、居場所を失っていきました。今でも研究室に行くことはありますが、同じ空間に人がいる事を考えただけで、手が痺れて頭が真っ白になって、実験も上手くいきません。完全に悪循環に陥ってしまいました。

 

人との関りも苦手だし、暇をつぶすことも出来なくて、もうどうしたらいいのか分かりません。甘えただってことは分かっているけれど、自分なりに行動して打開しようとした結果、全て空回りに終わってしまってもう考える事も疲れてしまいました。今の連携研究機関のテーマをなんとか維持しつつ、ただひたすら、卒論発表までの6か月を、何も考えず、耐えに耐えまくって過ごすしかありません。卒業できれば勝ちだと思って、気を強くもって過ごすしかありません。国家試験もあるからその勉強もしないといけないし、あとは資格の勉強でもしてみようかな。

 

今陥っていることを簡潔にまとめると、

①最初に配属された研究室が放置研究室だったため、暇を持て余して余計なことを考えるようになった。

②時間をつぶすために学部の研究室に戻って研究することを企てたが、居場所がない。

③②で改めて感じたが、やっぱり人が怖くて、社会に出て上手くやっていける自信がない。

 

まさか最後の研究室でこんなつらい時間を過ごすことになるとは思ってもみませんでした。自分の判断の甘さに絶望しています。毎日朝起きる時は、また一日が始まってしまう事に絶望していますが、なんとか生きていくしかありません。半年も気を強く持って生きていける自信は全くもってありません。このどうしようもない豆腐メンタルを誰か叩き直してください。

後悔で気の狂いそうな毎日

こんにちは。なんとか生きてます。

 

毎日毎日、同じことで悩んでて、過去を反芻しては、頭が重くなって、体も重くなって、気が狂いそうになっています。

4年生の6月、なぜ私は安易に今の研究室を選んでしまったのか、本当に理解に苦しむ。研究って今しかできないことなのに、自分らしくない選択をしてしまった。

最初はそこまで志望度が高くなかったのに、楽、という言葉に飲み込まれて、安易な選択をした自分を全力で攻めて身動きが取れなくなってしまう。

人と違った、変わった選択をすることで、「自分は人とは違うんだ病」が最悪な方向に転換した結果がこのざまだ。また考えすぎてお腹痛い。

元々、そこまで絶対に行きたいという研究室があったわけはなかったが、実験がしたかったので、今の研究室でウェットのテーマを選ぶべきだったのが最大のミスだった。

 

「みんなと違うことをしてる私」の裏側

ここに来たのも実に1年ぶりのことのようだ。

自分の記事をざっと読み返してみたけど、何も変わってなくて、驚いたと同時に落胆した。1年という長い時間があっても、現状を打破出来ていない自分が怖くなった。

 

去年のこの時期くらいからコロナが本格的に猛威を振るいだして、外に出ることが規制された。その当初はみんな外に出れなくなるから、研究室も行けなくなって、みんなも私と同じくずっと家にいる生活を送っていた。

だから一時的に私は安心した。

「みんなと同じ」でいれることにとてつもない安心感を覚えた。

でも、結局、コロナ禍に対する認識が以前よりも緩くなってきている今、みんなは普通に毎日研究室に通い始めた。毎日、昼から夜まで実験をしている。

一方、私は、昼過ぎに起きて在宅で出来る有給インターンをし、週に1日程度の外出のアルバイトをし、適当に就活をし、永遠にYoutubeを垂れ流すという、なんのメリハリもない生活をしている。

本当に毎日朝が来るだけで気がおかしくなりそうだった。朝起きる瞬間に、そこはかとない「絶望」から一日が始まる。

この「絶望」があと8か月近く続くということを考えると、またそれで死にたくなる。

 

結局、私は人の目を気にしないで自分のペースで行動出来ます、とか口先では言いながら、みんなに合わせる事の出来ない劣等感を正当化しようとする口実に過ぎなかったみたいだ。その証拠に、みんなと同じペースで歩めていない今、人生最大級に精神がおかしくなってしまっている。

 

一応、自分を少しでも落ち着かせるために、この1年で起こした行動を列挙してみることにする。

①2月~4月:薬局実習

過去記事にも残っているが、この時の精神状態も相当やばかったみたいだ。毎日行く事がつらくて、呼吸がしんどかったみたい。今じゃ思い出が多少は美化されているみたいだけど、全然良い時期ではなかったんだな、自分の記憶も本当にあてにならない。

 

②5月~8月:緊急事態宣言真っ只中

コロナでみんなが自粛ムードだった。みんな外に出れない。もちろん私も外に出ない。

Switchを中古で手に入れて、新しくゲームも初めて、漫画も読んで、アニメも見て、いろんな新しいコンテンツにはまったのがこの時期だった。この3か月は割と充実してたと思う。今までの人生で時間がないからという言い訳を並べて出来なかった事を思う存分に楽しめた時期だった。

「みんなと同じ」になれないことがコンプレックスだった私は、このコロナのおかげでやっと「みんなと同じ」環境に身を置けたことが安心感につながったのだと思う。結果、錯覚に過ぎなかったのだけれど。

 

③8月下旬~10月下旬:病院実習、オタ活

すごく大きな新しい出会いがあった。同じ実習班の人がとても不思議な魅力を持った人だった。人に無理やり合わせることなく、自分のペースで生きている。だけど、手を抜いて生きているわけではなく、自分に必要な分だけ、必要に応じて頑張っている人だった。私にとってはその人の生き方がとても上手に見えた。私は自分のコンプレックスを隠すために必死で適当に混ぜた絵の具でぐちゃぐちゃに取り繕う事しか考えていなかったから。すぐに化けの皮が剝がれてしまうような、そんな取り繕い方しかしてこなかったから。その時は、純粋にその人みたいに生きてみたいと思った。

というのも、私はいつも人と同じように出来ないのを隠すために、人とは違う道を選択して生きてきた。でも、違うことも特別に出来るようになるわけじゃなかった。

人と違うことをするって聞こえはいいけど、基本が出来て+α的な位置づけにしないと、ずっと自分はみんなみたいに出来ないというコンプレックスに悩まされ続けるのだと思った。切実に、まずは普通のことが普通に出来る人間になりたい。

 

④11月~現在:有給長期インターン、週1日バイト、ゲーム、片手間の研究

なんか色々手を付けているんだけれど、なんか毎日落ち着かない。やるべきことはあるはずなのに、人と違うことをしている自分に自信がない。もっと研究をちゃんとしたかった。

今の状況を述べるのは、今日だけだと難しいから、また後日記事にしたいと思う。

底付き

この1週間が究極にしんどかったな~。

実習のこと考えるだけで心臓がどきどきしてきて、休日も休まっている感じがまるでしないな。手もなんだか痺れてる。嗚咽もしょっちゅう。

 

楽しいこと考えてれば治まるかなと思って、アイランドTVとかつべとか永遠に流してる。ちょっとは緩和される。ジャニーズが世界に存在してくれて本当に良かった。

 

あと、昨日、神田にあるマンガアートホテルに泊まった。マンガも面白かったけど、中学からの友達と一緒だったから本当に楽。この子がいなかったら楽しみが半減してる。感謝しかない。

 

なんか支離滅裂。文章考える力もないくらいだから察してほしい。

 

共感力が低い

今日は、自分の共感力の低さに改めて気付かされた日である。

中学からの友人たち3人と新大久保で遊んだ。付き合いも長いので気心も知れているから純粋に楽しみにしていたのだが、中盤からは少々しんどい気持ちになり、夜になるころには早く帰りたいという気持ち以外消え失せていた。

1人を除いて、ひさびさの再会だったのでお昼ご飯時から一緒にいたのだが、会話の内容が可愛い~とかすごいね~とか上っ面の褒め合いのようなものばかりで、序盤から嫌な予感はしていた。いちいち共感して愛想良くするのに疲弊した。4人いると、その場の空気というものが出来上がって、共感しないことが悪なことのように感じられてしまう。そこで素直に反論する勇気もないから葛藤でここまで疲れるんだろう。2人ならその点1対1の責任で話すから楽だ。

 

いつからこうなったかはっきりとは覚えていないけれど、小さいことから割とそうだった気がする。母に父の悪口を聞かされるたびに、何も思わないことを決め込んでたからかな?そうしているうちに普通の感情も薄くなってしまった。他の人と同じように盛り上がると頭の後ろがずきずきしてくる。

ちょっと恢復

今読んでいる本の中に、恢復という漢字が出ていて使ってみたかったから使ったまでである。今調べてみたら、回復と恢復はおんなじ意味なんだね。

 

今日はちょっと元気だ。なぜかは自分でも分からないけれど、実習の充実度かなあとなんとなく思っている。お金の発生しない社会との関りはプレッシャーも少なく、失敗しても誰にも迷惑をかけないという気がするし、それでも少しは社会の役に立てているので、それも心の回復によく働いているのかもしれない。

なにより薬局の人たちは割と物静かな人が多く、多く話すことを強制しない雰囲気がある。本心はどう思っているかは分からないけれど、医療人という仕事柄、適当にこなしてミスは許されることでは無いので、自然と一点集中型になって、業務に必要なこと以外は基本的に話さない、というのがあるのかもしれない。

管理薬剤師の考え方が仕事をする人としてとても好きで、薬剤師という仕事を世の中に理解してもらうために誇りをもって仕事をしていることがひしひしと伝わってきて社会人としてかっこいい。

相方もなんとなく、距離感がつかめてきた。休憩中や実習中に無言の時間はいっぱいあることには変わりないけれど、帰りにいろいろ寄り道に誘ってくるあたり、私のこと嫌いではないのだろうし、話さないことも苦痛じゃなくなってきた感じがする。無理に気を使って結果空回りするような会話を頭の中でぐるぐると考えている方がよっぽど気を使って疲れるし、私としては不自然なふるまい方である気はする。電車で自然と開いている向かいの席にそれぞれ座るところもとても心地よかった。これくらい、のんびりとした距離の詰め方がちょうどよい。

 

あとは今読んでいる、アダルトチルドレンのセラピー本も心が温まる内容で、それも聞いているのかなと思う。取り繕って周りに振る舞う主人公に自分を重ね合わせて読んでいると、なぜか共感しているようでとても心が落ち着くのだ。まだ読み終えていないから続きが楽しみである。