天は自ら助くる者を助く

自分の好きなものに正直に生きていたい。

「みんなと違うことをしてる私」の裏側

ここに来たのも実に1年ぶりのことのようだ。

自分の記事をざっと読み返してみたけど、何も変わってなくて、驚いたと同時に落胆した。1年という長い時間があっても、現状を打破出来ていない自分が怖くなった。

 

去年のこの時期くらいからコロナが本格的に猛威を振るいだして、外に出ることが規制された。その当初はみんな外に出れなくなるから、研究室も行けなくなって、みんなも私と同じくずっと家にいる生活を送っていた。

だから一時的に私は安心した。

「みんなと同じ」でいれることにとてつもない安心感を覚えた。

でも、結局、コロナ禍に対する認識が以前よりも緩くなってきている今、みんなは普通に毎日研究室に通い始めた。毎日、昼から夜まで実験をしている。

一方、私は、昼過ぎに起きて在宅で出来る有給インターンをし、週に1日程度の外出のアルバイトをし、適当に就活をし、永遠にYoutubeを垂れ流すという、なんのメリハリもない生活をしている。

本当に毎日朝が来るだけで気がおかしくなりそうだった。朝起きる瞬間に、そこはかとない「絶望」から一日が始まる。

この「絶望」があと8か月近く続くということを考えると、またそれで死にたくなる。

 

結局、私は人の目を気にしないで自分のペースで行動出来ます、とか口先では言いながら、みんなに合わせる事の出来ない劣等感を正当化しようとする口実に過ぎなかったみたいだ。その証拠に、みんなと同じペースで歩めていない今、人生最大級に精神がおかしくなってしまっている。

 

一応、自分を少しでも落ち着かせるために、この1年で起こした行動を列挙してみることにする。

①2月~4月:薬局実習

過去記事にも残っているが、この時の精神状態も相当やばかったみたいだ。毎日行く事がつらくて、呼吸がしんどかったみたい。今じゃ思い出が多少は美化されているみたいだけど、全然良い時期ではなかったんだな、自分の記憶も本当にあてにならない。

 

②5月~8月:緊急事態宣言真っ只中

コロナでみんなが自粛ムードだった。みんな外に出れない。もちろん私も外に出ない。

Switchを中古で手に入れて、新しくゲームも初めて、漫画も読んで、アニメも見て、いろんな新しいコンテンツにはまったのがこの時期だった。この3か月は割と充実してたと思う。今までの人生で時間がないからという言い訳を並べて出来なかった事を思う存分に楽しめた時期だった。

「みんなと同じ」になれないことがコンプレックスだった私は、このコロナのおかげでやっと「みんなと同じ」環境に身を置けたことが安心感につながったのだと思う。結果、錯覚に過ぎなかったのだけれど。

 

③8月下旬~10月下旬:病院実習、オタ活

すごく大きな新しい出会いがあった。同じ実習班の人がとても不思議な魅力を持った人だった。人に無理やり合わせることなく、自分のペースで生きている。だけど、手を抜いて生きているわけではなく、自分に必要な分だけ、必要に応じて頑張っている人だった。私にとってはその人の生き方がとても上手に見えた。私は自分のコンプレックスを隠すために必死で適当に混ぜた絵の具でぐちゃぐちゃに取り繕う事しか考えていなかったから。すぐに化けの皮が剝がれてしまうような、そんな取り繕い方しかしてこなかったから。その時は、純粋にその人みたいに生きてみたいと思った。

というのも、私はいつも人と同じように出来ないのを隠すために、人とは違う道を選択して生きてきた。でも、違うことも特別に出来るようになるわけじゃなかった。

人と違うことをするって聞こえはいいけど、基本が出来て+α的な位置づけにしないと、ずっと自分はみんなみたいに出来ないというコンプレックスに悩まされ続けるのだと思った。切実に、まずは普通のことが普通に出来る人間になりたい。

 

④11月~現在:有給長期インターン、週1日バイト、ゲーム、片手間の研究

なんか色々手を付けているんだけれど、なんか毎日落ち着かない。やるべきことはあるはずなのに、人と違うことをしている自分に自信がない。もっと研究をちゃんとしたかった。

今の状況を述べるのは、今日だけだと難しいから、また後日記事にしたいと思う。