天は自ら助くる者を助く

自分の好きなものに正直に生きていたい。

頭の中がぐっちゃぐちゃ

ここにしか吐き出せないから、吐き出させてくれ。

めちゃくちゃに暗くてどうしようもないから、何らかの拍子に誤ってここにたどり着いてしまった人は読まない方がいいと思う。

 

今日の夕方、ニューヨークから帰国した。

中学からの友達と二人で、その子は今年卒業になるから卒業旅行という名目で、前々から計画会をスタバやうちでお泊りしてやったり、いろいろと長いスパンで準備をしてきたこの旅行。

友達はブラックミュージックや壁画など、おしゃれなニューヨークに対するあこがれが人一倍強くて、本当に楽しみにしていた。

だからこそ、こんな私の気持ちが沈んでいるタイミングで行くんじゃなかった…。

帰ってきた今、自分に対する嫌悪感と友達に対する罪悪感で頭がいっぱいで、立つのもちょっと気力が必要なくらいには参ってしまっている。

旅行中、大半はずーーっと暗い気持ちのままだった。友達のちょっとした言動や彼氏ののろけ等にいちいち敏感に反応して、苛ついて、言葉には出さなかったけど、愛想がどんどんなくなっていくのが自分でもわかるくらいには態度最悪だったと思う。

 

夏以降、生活が規則正しくなくなったせいか、私の気持ちはずーーーっと滅入っている。そもそも、研究を決める段階で、安易にドライに決めたのが悪かったのか。いや、そもそも、自由すぎる環境に慣れてない私はこの研究室に身を置くこと自体間違っていたのか。そんな取り返しのつかない悩みを悶々と抱えている。

楽なところがいいってだけで、逃げたのかもしれない。でも、興味のある分野はもともと精神科領域などの目に見えない領域で、扱っている研究室がここしかなかったのも事実。腸内細菌にも興味があって、扱っている研究室はもう一つあったけれど、教授がブラックすぎてそれこそ病むのが目に見えているから、そもそも除外してたし。

夏にキンプリ、サマステ、野球も含めたら15回以上は現場に通って、いっぱいのオタクと連番して、人生最高レベルで充実した夏休みを満喫した。今年の夏は現場実習があるから、去年のうちにたくさん行けたのは、今考えても間違ってはなかったと思うし、全国各地旅行出来て、おいしいものたくさん食べれて、幸せだったことは間違いないんだ。ただ、問題はその延長線で9月以降もだらけた生活が続いてしまったこと。

ドリボ、仙台と現場が続き、休みモードが全く抜けきれず、さらに出費を上塗りするために学校に行きながら週5でバイトして月10くらい3か月連続で稼いでた。まあ、単純に研究室が暇で、バイトくらいしかすることがなかったっていうのもあるんだけど。

そんなこんなで、休みと学校の切り替えがうまくいかず、なんとなーく時間を浪費しているうちに悩む時間が多くなった。バイト以外の時間は家にいる。家にいても母と父が顔を合わせると気が休まらない。逃げるようにバイトに行く。疲れる。でも、休まる家がない。結果、現状のようにどんどん病んでいった。

病み始めると、負の思考が本当に止まらない。

・周りのみんながすごい人たちに見える。みんな私に持っていないものを持ちすぎている。

・なんでみんなが普通に出来ることが出来ないんだろう。例えば、仕事中の何気ない雑談。後輩指導。仕事を自分から見つける。等

・もっと両親が仲良くて、笑顔にあふれる家族だったら、今頃どんな生活で、どんな人生を歩んでいたんだろう。

・人と関わりたくないわけじゃないから、こんなに病むんだと思う。本当は人が好きなはず。好きになりたい。でも今はまた同じ苦痛を味わいそうで、恐怖に打ち勝てない。

・将来、容量の悪すぎる私に出来ることがあるようには思えない。けど、やっぱり、人を自分の言葉で動かす仕事だったり、人の温かみに触れられる仕事がしたい。まだ、人を信じることをあきらめたくなかった。(⇒この後、風呂に入りながら、ライターのインターン探してみたよ。実習終わったら応募したいな)

 

病んで病んで病みまくってるときは、ネットを徘徊して、いろんなサイトにたどり着く。そこで、「回避性パーソナリティ障害」という言葉を知った。

その特徴が、今の私に結構当てはまる。

『大事な人ほど傷をつけ、拒絶してしまう。』

そこまで仲良くない人には、結構愛想よく振る舞うことが出来ると思う。けど、今回の旅行に一緒に行った10年来の友達みたいに、気の置けない人にこそ、とんでもない態度で接してしまう。そして罪悪感に陥る。一見おとなしくて、聞き分けの良い、所謂いい子に見られやすいパーソナリティらしい。自分でいいこって言うのもなんだが、これまでの人生、大きく道を外れたこともなく、勉強もそれなりに頑張ってきたから、これに当てはまるんじゃないかな。人が盛り上がってるとスーッと気持ちが冷めてしまったり、自己主張できなかったり、出来たとしても地震な下げで説得力がなかったり。何回も何回も同じような感覚で生きづらさや無力感に苛まれてきた。

だから、これからはこうやって文章に残すことで、自己主張する場所をちゃんと確保していきたいと思う。

私にとって、文章を書くことは、娯楽ではなく、生きる術、なのだと思う。