天は自ら助くる者を助く

自分の好きなものに正直に生きていたい。

友達との会話

今日は東京駅でインターンシップに参加した。人生初のインターンシップだ。とは言っても有給でも長期でもない、たったの3時間、ほぼ人事部の方の説明を聞いて最後1時間ほど座談会をして解散、というなんとも初心者に優しいプログラムであった。小さな一歩を踏み出せたという意味では当たりくじだ。最初、部屋に入ったときに真ん中のテーブルに置いてあったのは2セットの資料。結構誰もが知る大き目の企業だったので、まさかこの就活時期に2人なわけ、と思ったのも束の間、本当に2人だった。

てっきり大人数いるものだと思っていたから、喋る心の準備もほぼなく、最初は逃げたい気持ちもあったが、先週の企業ブース説明会で話していた人事の方が顔を覚えていて下さり、温かく出迎えてくれたのでちょっと頑張る気力が湧いた。結果、逆に自分の意見を言う練習の場にもなったからよかったと前向きに捉えよう。

一人暮らしの為の住宅補助が出ること、キャリアプランで様々な挑戦をさせてもらえること、年間の休みが多くオタ活しやすそうなこと(笑)、育児休暇の制度が充実しており女性にも働きやすいこと、普通の薬局ではできないような健康サポートが実現可能なことが特にこの企業のいいなと思ったところである。

今日行ってみて、もっといろんな企業のことを知りたいと思ったし、人事の人に顔売りしておくのは私みたいなコミュ障には案外良い戦法かもしれないなと思った。

やっぱり、小さい頃から活字にはとても救われてきているから、医療系の出版社もいいかもしれないなと思った。医療×文章を仕事に出来るのは、とても魅力的に映る。もちろんそんな単純な世界じゃないのかもしれないけど、少しずつ自分がやりたいことが見えてきたのも小さな一歩。でも逆に、私の唯一の逃げどころである活字を仕事にしたらプライベートとの切り離しがうまくいかなくなって悩んだ時行き場がなくなってしまうのではという不安も過る。あらぬ不安を抱きやすいのも私の癖であろう。

 

中高一緒だった友達と急遽、神保町で会うことになった。当日急にお互いに予定が合ったから、と言って何の遠慮もなく気軽に落ち合える友達がいることは心の支えだ。

神保町はとっても素敵な町だった。とにかく至る所に古本屋さんがある。本の街、という響きだけで今の私の心はワントーン明るくなった。特別古本に興味があったわけではないが、友達に言われるがまま立ち寄ったお店にドル誌が何百冊と並んでいた。もうそこは天国以外の何物でもなかった。今でもおなじみのジャニーズ誌5誌がほぼ創刊からある。ビニールが丁寧にかけられていて、中身を見ることは出来なかったが、表紙を眺めるだけでその時々のCD発売日が近いグループやドラマでタッグを組むコンビなど、時代を感じることが出来た。申し訳ないけど、イノッチのソロの表紙の時の写りが悪すぎて、どうしてこれを表紙に採用した???と10秒くらい考え込んでイノッチに同情してしまった。6人時代のSMAPや9人時代のNEWSの表紙も何冊かあって、本に穴が開くくらいガン見した。あと、TOKIOって元々長瀬くんじゃなかったの??一人知らない顔の人が写ってて、これ、長瀬?いや顔ちがくね?と散々言い争っていたのだが。知らない世界がいっぱい広がっていると同時に、私がドル誌を買い始めた2010年末あたりのものも置いてあり、懐かしさに震えた。あの時は毎月5日と20日が楽しみで楽しみで間の半月は片方を死ぬほど読み込んでたな~~嵐とB.I.Shadowに出会ってなかったらこんな感動もなかったと思うと感慨深いね。

お昼はすき家のアラビアータ牛丼なる奇妙なものを食べた。変なところで冒険心が芽生えるのである。結果、とっても美味しかったです。企画した人すごいな(笑)こんな風に安くて美味しいものを遠慮なくお昼ご飯にチョイスできるのも幼馴染のいいところ。普通友達とごはんってなると少し気合の入れたところに行きがちでチェーンは避けがちだけど、この子とはいつもこんな感じだ。この前、銀座で遊んだ時もご飯はサイゼリヤでした。逆に銀座でサイゼってちょっと邪道で良くない?

 

この子との会話で改めて気付かされたことがある。なぜ、私が本を好きか、ということだ。

家族との関係がうまくいかず、人間関係もうまく作れない私は一人で悶々と悩みを自問自答することが多いのは以前のブログをを見てわかってもらえると思う。考えることは人間の生きる上で大切なことだとは思うが、自分の中に答えがない問題を永遠と解き続けることは単純に疲れるし、結局何も生み出さない。それどころか、悩みが悩みを呼び、より頭の中が複雑化していき、ひたすら消耗戦となる。そこからいったん思考を切り離してくれるのが読書の役割である。本の中の世界観に浸れば負の思考のループから脱出できるだけでなく、時に悩みのヒントとなるような文章に出会えることがある。視界がぱっと開けるという感覚になることは稀だが、思考の癖を改善していくには日々の小さな積み重ねが大事だという。この小さい一歩を担ってくれるのが読書である。

また、今の私の精神状態だと誰かと会う約束をして予定に追われるように生活することは極めてストレスである。その点でも読書が大活躍する。読書は私をいろんな世界へ連れ出そうとしてくれる。知らない世界を活字を通して知ることが出来る。でもそれはあくまでも想像上での体験に過ぎない。私は実際に目で見て確かめたいという気持ちになる。あくまでも読書はきっかけづくりに過ぎないのだが、ヴィレバン下北沢店に出向いたのも「であすす」がきっかけだった。作者のヴィレバン愛が強すぎて、こんなにも面白い作者が心酔するヴィレバンとは一体どんなところなのだろうか、この目で確かめてやろうじゃないか、という気持ちになった。また別記事でも書きたいと思っているネタだが、ヴィレバンが生み出す、不完全なものを当たり前のように受け止めてくれるような空気感に強烈に魅せられてしまった。私の軸が1つ見えた瞬間でもあった。

結構なボリュームを書いて疲れてしまったが、最後にもう一つ書きたいことがある。

元々出不精だった私だが、今は家にいることで家族と物理的な距離が近くなってしまうことが一番のストレスであることを何となく理解してから、毎日外に出るようにしている。外に出てもやることないな~と思っていた以前とは違い、読書をすることが目的になって、外に出ることが出来ている。

親と物理的にも心理的にも距離を置くこと。今はもしかしたら私や両親にとって過渡期なのかもしれないと思った。帰宅しても母にその日あったことを何も言わず口をつぐんで部屋でこのようにブログを書いていることは、私の自立の為、と思ってやっていることだけれど、もしかしたら母にも自分の人生を生きてもらうために必要な時期なのかもしれない。都合のいい話かもしれないが、そう思えると私の今の行動に意味があると思える。視野が広がるしいいことが多い。多分、人生に無駄なことはないって、誰かが言ってたから、今はそれを信じてみよう。